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2011/03/26(土)
避難した時
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地震後、ラジオで10mの津波が来るというので高台にあるバイト先から家にもどって母親を連れてくる許可をもらった。
なんってたって家は海から100mくらいの距離なので(汗) 家に帰ってみると棚から食器が落ちて散乱、本棚が移動して斜めになっていた母親に「津波が来るから逃げるぞ〜」といって避難の準備、万が一のことがあるかも知れんと思って自分はノートパソコンと財布と通帳だけは持ち出す。
母親を車に乗せバイト先にもどり待機していた。 外では急に雪が降り始め100m先までしか見えないくらい・・・ 停電ですし、当然携帯電話も通じない、車のラジオで情報を得る。
新潟の家族からメールだけは届いた。 なかなか返信の送信ができない何度も続けて繰り返して送信されれという感じ・・・
バイト先の人のワンセグで津波の状況が・・・仙台市のほうで家が流されている光景が・・・ 雪が上がってから、母親を避難所へ連れて行き家のほうが見える高台へいってびっくり・・・ 自分の住んでいる地区の家が・・・・ほとんどない・・・ 景色が今まで見ていたものとはまるで違っている・・・ 唖然・・・といった感じ・・・ しかし、遠くに自分の実家らしい建物の形が見える・・・ ちょっと斜めになっているように見える・・・でも、残してきたものが無事ではないかとちょっと期待。
バイト先にもどって待機、夕方くらいになって携帯がつながった人がいた。 それで、みんな家族の安否を確認にチャレンジ、100回に1回くらいつながる??? 1度だけ東京の姉につながり母親の無事を伝える。 このころになると、携帯のバッテリーもそろそろなくなり始める人も・・・車に搭載していた携帯用充電器が非常に役に立った。
避難所の公民館は人でごった返し横になるスペースもなかったです。 津波で家が亡くなった人や、自宅から避難してきたじいちゃんばぁちゃんでいっぱい! 意外とみんな明るくふるまっています。 後日、テレビでみたような泣いてるような人はほとんどいません。
まだまだ、ご報告したいことはありますが取り合えずここまで。
それから、今回の震災で自分なんかにカンパしていただいた皆様、誠にありがとうございます。 大変、助かります。この御恩は忘れません。 晴れたらチャリでしまむらに着るものを買いに行きたいと思いますm(_ _)m ・・・でも、自分なんか貧乏だけどまだ恵まれている方だと思いますので、カンパは他の被災者の方へお願いします。 →に募金サイトのまとめみたいなページがあったのでリンクを張っておきました。 よろしくお願いたします。
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