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2022/06/02(木)
ひまひま大河ドラマ日記(麒麟が「来た」)
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ある大学で、『麒麟がくる』の脚本家の池端俊策さん(1991年の大河ドラマ『太平記』の脚本を書いたベテラン。中28年の再登板って、間違いなく歴代最長でしょう)の講演会があったとのことで、ファンのツイッターで概要を知ることができました。こういう制作の裏話って好きなのです(マニア気質とも言う)。 いろいろ興味深かったのですが、主に次の3つが印象に残りました。
まず1つ目は、池端さんは最初『麒麟が来た』というタイトルを提案したそうなのですが、『ダーウィンが来た』みたいだ、とNHK幹部の会議で却下されて(なんなんだその理由)、池端さんからドラマ部長に電話で、じゃあ『麒麟がくる』はどうだ、と再提案。満場一致で採択されたとのこと。NHKって大河ドラマのタイトル1つ決めるのにもエラい人たちの会議で決めるのか、大変だなあ。 でも、結果的に『麒麟がくる』で良かったなあ、と思います。麒麟(=平和な世)がいつ来るか、という物語だったと思うので。
2つ目は、周囲に振り回される主役の人物像が、演じる長谷川博己さんは不満だった、ということ。視聴者の中にも同様の感想の人が結構いたみたいで、「こんな主体性が無くて流されるだけの主人公なんて、全く共感できない」みたいな意見をネットでいくつか目にしました(皆さん、立派な主人公のドラマが見たいんですね…)。 個人的には、初回を見た時には「これは、光秀をヒーローとして描くつもりかな…」と不安になったので、振り回される主人公はむしろ大歓迎。信長と光秀の関係が中心になってからはぐんぐん面白くなってきました(まあ自分は、朝ドラも「ダメ人間の朝ドラ」が好きなので、単にヒーロー(ヒロイン)然とした主人公が苦手なだけですが)。 長谷川博己さんは正直今までそれほど好きではなかったのですが(『八重の桜』でもそうだった)、今回はとても良かった。脚本家自ら指名しただけあって、主人公の雰囲気とぴったりはまっていたと思います(納得いかなくてもそのように演技するのだから、やっぱり役者は凄い)。
3つ目は、全44話の中で、40話あたりまでどのように本能寺に至るか決めずに書いていた(出演者やスタッフも心配していた)ということ。これ、池端さんがインタビューで「本能寺から逆算して書くことはしていない」と答えていて、以前の日記(2021年2月)でも触れたのですが、さすがにそんな最終盤まで決まっていないと、みんな不安になるよなあ(笑)。これはもう、そういうスタイルの脚本家なんでしょうね。まあ、ベテランじゃなかったら許されないかも知れませんが…。
正統派大河ドラマを期待していた層からは、ストーリーの破綻も指摘されるなどあまり評価が高くなかったみたいな本作ですが、個人的には、そんな不完全な部分も含めて楽しく見させてもらいました。 そういえば、本作のチーフ演出は、『草燃える』など多くの大河ドラマの演出をした大ベテラン(故人)の息子さんらしい(大河ドラママニアの松村邦洋のYouTubeで知りました)。親子二代で大河ドラマ演出とは凄い。『草燃える』は、今やってる『鎌倉殿の13人』と時代がほぼ同じなので、そのうち見比べてみたい。
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