フィギュアスケート観戦に燃えるお気楽yukinoと天国のテンちゃんの日常
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2007/11/07(水) 東京の空
初めて長野新幹線に乗って、東京へ行った。
長野新幹線は座席がゆったりして、揺れも音もあまり感じない。佐久平から上野まで1時間ちょっと、あっという間の快適な旅である。これが楽しい旅ならば、、、、。

急な上京は、葬儀に出席するため。
友人が亡くなった。正確に言うと、友達の友達なのだが、ここでは「友人のH氏」と呼ばせていただく。
友人といっても、10才以上年上であるが、そんなことは感じさせない、若々しい先輩であった。

H氏はスキーと釣りをこよなく愛した。
そして、その両方を堪能できる、この野辺山の地を大変気に入ってくれて、我が家にも何度も訪れてくれた。

もとは昨年、大腸ガンから始まった。二度も手術をしたが、一旦は回復し、今年の4月までスキーをしていた。
7月には釣りにきて、釣果を我が家に置いていってくれたことは、7月22日の私のこの日記に記してある。
そのときに「明日からまた、入院なんだ」と言っていた。「痛くて具合が悪いけれど、こうしていると気がまぎれていいよ」とも言っていた。

なんとなく、「もしかして、これが、、、」ということが頭をかすめたが、目の前のH氏は自分で言うほど悪そうでもなかったし、そういう目で見たくもなかった。
だから、帰るときも、いつもと同じ挨拶で「気をつけてね。また来てください」とあっさりと別れた。その帰るときの姿は不思議とはっきり思い出せる。
しかし、やはり、それが最後の別れとなってしまった。

余命を宣告され、それでも、前向きにスキーのポールレッスンに来ていた。と同時に「いろいろと片付けなくちゃ、、、」とも言っていたそうだ。
もし、自分が同じ立場になったら、いったいどうなってしまうのか、まったく想像がつかない。
ただ、ただ、「すごい精神力だなぁ、、、」と思うばかりだ。

棺には、H氏がスキーと釣りで愛用していた品々が友人達の手で入れられた。
渓流釣りのシーズンは終わってしまったが、あとひと月ちょっとでスキーのシーズンが来る。
スキーの先生だったH氏に、以前アドバイスしてもらったことを思い出し、今シーズンは私も一生懸命にスキーをしよう。


今日は、暑いぐらいの晴天だったが、久しぶりに見る東京の空は、霞んでいた。
生まれも育ちも東京のH氏は、そのブルーグレーの空に溶けていった。
残された者は、ただ空を見上げ、「ぽっかり空いた胸の奥の穴は、いつ埋まるんだろう、、、」などと考えている。


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