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2009/11/17(火)
雪
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朝、起きたら雪が降ってました(@_@;)
タイヤの履き替えも間に合わず、ダンナはソロソロと出勤しました。 雪は、昼には雨に変わり、ほとんど解けましたが、すごく寒いです。 このまま、冬に突入するのでしょうか。
そんな中、うちの地区で、105才のおばあさんが亡くなり、 近所の人たちと雪の中、「おじんぎ」に行ってきました。
「おじんぎ」というのは、多分、「お仁義」と書くのだと思うのですが、よくわかりません。 うちの地区の中でどなたかが亡くなると、40軒ぐらいあるこの地区の女性が何も持たずに、弔問に行きます。たいていは、ご近所5、6人で連れだって行きます。 そして、亡くなった方のお顔を拝ませていただき、最後のお別れをします。 それが「おじんぎ」。 同じ村でも、地区によっては、亡くなった日の夕方、「全戸がとりあえず香典千円持って行く」というところもあり、その風習は地域によってまちまちです。
お通夜というのは、親族だけで家で行い、都会のようにお通夜から斉場でやることはないようです。 そして、告別式の日の午前中に火葬。 告別式は、午後から、お骨に向かって執り行います。
私が引っ越してきた頃は、お通夜の前に「お念仏」というものがありました。 地区の女性が集まり、亡くなった方の前で、皆でお念仏を唱えます。その内容は、口伝だったのですが、30年ぐらい前に、書き取って冊子にした方がいて、皆がそれを読みながらやるようになりました。 私も、何度か呼ばれて、やったことがあります。 呼ばれて、というのは「おつかい」と呼ばれる親戚の方が、 「何時より、お念仏お願いします」と 言って来るのです。 葬儀の手伝いは、やはりその「おつかい」が 「皆さんで、お手伝いお願いします」とか「お一人、お手伝いお願いします」と頼みに来るのです。
そして、葬儀の前日、葬儀の日、葬儀の翌日の片付けまで呼ばれる「三日呼び」と 葬儀の日だけ手伝う「一日呼び」というのがあります。
「お念仏」に初めて行った時には大変驚き、 「これは無形文化財モノである」と思ったものですが、 家族が亡くなった混乱のときに、大勢家に呼んで、夕食までふるまうのは大変、ということで、だんだんすたれ、ここ10年ぐらいでやらなくなりました。
お念仏は、長いと一時間以上かかるのですが、途中で甘い「砂糖湯」がふるまわれ、それが美味しくて。
お念仏の中に「野辺の送り」(多分。。。)という題目があり、 「前を見ても一人、後ろを向いても一人」(正しいかどうかは?)といったくだりでは、 自然と涙がこぼれたものでした。
同時に、文化を保持していくことは、それは大変なことなのだと、実感しました。
最近は、近くに斉場がたくさん出来て、家や公民館での葬儀は無くなり、お手伝いも「一日呼び」がほとんどとなりました。 みんな、喜んでいます。
亡くなった105歳のおばあさんは、つい数年前まで、庭で草むしりをしていました。 頭も最近までハッキリしていて、かくしゃくとしていました。
元気で、子供や孫の家族がいるなら長生きもいいですが、私はそんなに生きなくてもいいです。。。
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